由 緒 沿 革

大泉寺は東林山と号す。

天文12年(西暦1543年)徳川家康の母伝通院(於大の方)の創立にして俊恵蔵主を開基としている。

伝へ云ふ天文11年於大の方懐妊するや命により俊恵蔵主登城して持仏堂薬師如来宝前に於いて日々安産の祈祷を行ふ。

天文12年12月26日家康誕生ありこれにより城の東北の一宇を草創し即ち城の持仏堂の薬師尊を本尊として十三仏一軸、紋付打敷幕桃灯等を寄進して大仙寺とした。

弘治2年6月24日今川義元並に松平元信(家康)より寄進状及び制札の下附があった。慶長6年(西暦1602年)2月10日徳川家康黒印五石を賜ひ此の時の書状により大仙寺を大泉寺と書したれば以来これに従ふ。

宝永5年正月境内に鎮守白山社を建立したれば今も現存する。
享保2年(西暦1717年)本堂葺替し門内石階段を作る以後連綿し現在に到る。

しかるに太平洋戦争の為焼失し昔の影なし。
本尊は木造薬師如来座(行基作と云う五寸八分)。
尚境内当寺草創の際伝通院のお手植えする所と傳ふさつき、つつじ二株亦其の遺髪を埋めたといふ墳墓がある。