由来沿革

大泉寺は東林山と号す。

天文12年(西暦1543年)徳川家康の母伝通院(於大の方)の創立にして俊恵蔵主を開基としている。

伝へ云ふ天文11年於大の方懐妊するや命により俊恵蔵主登城して持仏堂薬師如来宝前に於いて日々安産の祈祷を行ふ。

天文12年12月26日家康誕生ありこれにより城の東北の一宇を草創し即ち城の持仏堂の薬師尊を本尊として十三仏一軸、紋付打敷幕桃灯等を寄進して大仙寺とした。

弘治2年6月24日今川義元並に松平元信(家康)より寄進状及び制札の下附があった。慶長6年(西暦1602年)2月10日徳川家康黒印五石を賜ひ此の時の書状により大仙寺を大泉寺と書したれば以来これに従ふ。

曹洞宗

概要・歴史

今から800年ほど前の鎌倉時代に、「道元禅師」が正伝の仏法を中国から日本に伝え、「瑩山禅師」が全国に広められ、「曹洞宗」の礎を築かれました。

宗旨・教義

曹洞宗は坐禅の教えを依りどころにしています。
坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」となります。
日々の生活を意識して行い、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方です。

両大本山

「曹洞宗」には、大本山が2つあり、ひとつは福井県にある大本山永平寺(だいほんざんえいへいじ)、ひとつは横浜市にある大本山總持寺(だいほんざんそうじじ)です。

これを両大本山といいます。

両大本山は曹洞宗寺院の根本であり、信仰の源であります。

大本山の住職の正式な呼び方は貫首(かんしゅ)といい、「禅師さま」と親しくお呼びしております。

大本山永平寺

1244年、道元禅師が45歳のとき、波多野義重(はたの よししげ)公の願いによって、越前(福井県)に大仏寺(だいぶつじ)を建立し、2年後に永平寺と改められたことに始まります。

深山幽谷の地にたたずむ山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、僧堂(そうどう)、庫院(くいん)、浴室(よくしつ)、東司(とうす)の七堂伽藍(しちどうがらん)では、修行僧が道元禅師により定められた厳しい作法に従って禅の修行を営んでいます。

【所在地】〒910-1228 福井県吉田郡永平寺町志比5-15

大本山總持寺

1321年、瑩山禅師が58歳のとき、能登(石川県)の諸嶽寺(もろおかでら)を定賢律師(じょうけんりっし)より譲られ、これを禅院に改めて諸嶽山(しょがくさん)總持寺と名づけたことに始まります。

1898年に七堂伽藍を焼失し、1911年に能登から横浜市鶴見へ移りました。なお、旧地は總持寺祖院そいんとして再建され、地域の信仰を集めて今日にいたっています。

【所在地】〒230-0063 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1


アクセス

東林山 大泉寺(とうりんざん だいせんじ)

宗派:曹洞宗

住職:池田 彰元(いけだ しょうげん)

住所:愛知県岡崎市中町東丸根38

電話:0564-21-8328

mail:daisenji.okazaki@gmail.com

公共交通機関

・ 電車

  名鉄名古屋本線「東岡崎駅」(駅から約2.1km)

・ バズ

  名鉄バス「大泉寺バス停」(バス停より徒歩約1分)

お車

  東名高速道路「岡崎I.C.」(I.C.より約7分)